2017年5月29日月曜日

共謀罪 特高官僚

11年前に共謀罪の国会答弁に立ったのは「特高官僚」の大林宏だった
19日、共謀罪法案が衆院法務委員会で可決された。共謀罪はこれまで三度国会で廃案になっているという説明がされているが、厳密には、大きな政治戦になったのは2006年4月から6月にかけての通常国会のときで、民主党が奇策で出してきた対案を官邸と自民党の国対が丸呑みしようとしたところ、党内から俄に批判が起こり、ギリギリの段階で強行採決に踏み切れず頓挫、会期時間切れで流産に至ったという顛末だった。小泉政権の末期のことで、ポスト小泉の時期であり、自民党の中は今よりもずっと派閥重鎮の力が大きく、権力の分散と均衡が明らかで、官邸が党を無視して政策を専横できる環境になかった。このとき、共謀罪の成立に最も執着して強行突破を指揮していたのは官房長官だった安倍晋三で、すなわち今回の政治は安倍晋三にとって11年前の怨念のリベンジの意味がある。当時、ポスト小泉は、小泉純一郎の指名によって安倍晋三に事実上内定していたが、根回しなしの独断専行が目につく安倍晋三の強権手法に対して、党派閥の面々が快く思わず、「あの小僧が」と軽侮して影ながら抵抗していた様子が窺われる。当時は今のような「政高党低」の独裁体制ではなかった。



当時の公明党は、与党内野党としてのブレーキ役の実質を持っていて、自民党の派閥と繋がって官邸権力(小泉と安倍)を牽制する機能を果たしていた。このとき、継続審議になった共謀罪法案について、小泉純一郎が「私は『平成の治安維持法』を作った総理になりたくない」と述べた逸話があり、そのことは事実で記憶もしているけれど、これをあまり過剰に評価して美談にするのはどうかと思う。法案は閣法であり、閣議決定した責任者は首相の小泉純一郎だ。しかしながら、この言葉からも読み取れるように、法案を推進した中軸が小泉純一郎だったわけではなく、上程と成立に執念を燃やしたのは政権No.2の安倍晋三だった。本気で強行採決に踏み切っていれば、11年前に共謀罪は成立していたし、また、第一次安倍政権が3年続いていれば、安倍晋三が共謀罪の再チャレンジに出たことも疑いない。この点は、あらためて再認識しないといけない要点だろう。当時の自民党政権の中で、共謀罪制定に猛進した核心は安倍晋三だったが、本人が自ら発起して法案を構想したわけではなく、共謀罪を企んだ起点は法務警察官僚である。2001年のNY同時多発テロを利用して、秘かに練っていた治安立法の整備に動いたのが12年前で、要するに、これは右翼の「内務官僚」が長年暖めていた謀計だ。

2010年のNHKスペシャルで、外務官僚が核開発に動き、西ドイツと連携して日本を核保有国にしようと策動した歴史秘話が放送されたことがあった。無論、あんな動きを外務官僚が単独でできるわけがなく、佐藤栄作と椎名悦三郎の指示と許可があったことは確実だが、外務官僚において国連安保理常任理事国に返り咲くことが悲願であり、そのための必要条件として核武装を達成することが目標であることは、霞ヶ関の近辺で生息する者には常識の範疇だろう。彼らは諦めておらず、今でも虎視眈々と機会を狙っていて、極秘プロジェクトの成功と公表に向けて水面下で着々と歩を進めているはずだ。終戦のとき、GHQは軍と財閥は潰したが霞ヶ関を潰すことをせず、道具として使い続け、そのことが戦後民主主義を不全にした要因の一つだと言われている。外務官僚だけでなく、「内務官僚」もまた、外見は日本国憲法に従う素振りをしつつ、それは欺瞞で、彼らが真に忠誠を誓う国家は大日本帝国であり、戦前日本の原状を復元する野望を内に滾らせながら、戦後民主主義の不本意な時代を雌伏していたと言っていい。治安維持法は、「内務官僚」にとっては日本に必要なシステムで、それを使って反政府運動を取り締まり、反政府勢力を抑え込むのが当然なのだ。

11年前の共謀罪の政治戦はどういう経過だったのだろうと、ネットに残っている情報を見て追跡していたら、国会の法務委員会で政府参考人として答弁に立ち、保坂展人や平岡秀夫を相手に共謀罪の正当性を力説していたのが、あの大林宏だった事実を確認した。当時の法務省刑事局長である。2006年の共謀罪国会のあと、手柄を安倍晋三に認められて法務省事務次官に就任、2008年には東京高検検事長に出世し、西松事件と陸山会事件の指揮を執ったことで有名になった。2009年3月、このときは麻生内閣だが、漆間巌についての記事を準備中に大林宏の履歴を検索していたら、驚くことに、この男が特高の系譜を引く恐るべき右翼公安官僚で、反共イデオロギーの「特務」の畑を歩んでキャリアを積んでいた事実が発覚した。任官してすぐ、20代で在中国大使館の一等書記官出仕となり、つまり北京で日本政府(公安警察)のスパイ活動を行っている。その後、何と、1980年に帰国した伊藤律を直接尋問する係を担当していた。このとき、大林宏は33歳。この猛毒の思想警察の精鋭だった男が、それから25年後に共謀罪を策定し、安倍晋三官房長官の配下で満を持して国会に上程するのである。共謀罪の狙いが何か、由来が何か、手に取るように分かる戦慄の関連情報ではないか。

今回の国会論戦では、政府側が、壊れたロボットのような金田勝年を答弁役に立て、答弁拒絶と意味不明の応答で混乱させて時間を潰し、無内容な討論に終始させたが、11年前は、共謀罪を設計した当人である大林宏が答弁に立ち、保坂展人や細川律夫と切り結び、噛み合った議論とまでは言えないまでも、それなりに共謀罪の本質や目的が浮き上がる議論が交わされている。つまり、「特高官僚」が本音を漏らしている。例えば、目くばせは共謀になるのかという質問を保坂展人が発し、大林宏が、目くばせもサインだから共謀になると素直に答えているくだりがあり、今回の滅茶苦茶な国会審議と較べて、11年前の議事録ははるかに読んで堪えられる内容と言えるだろう。11年前は、今のように反対の集会やデモは活発ではなかった。ただ、福島瑞穂がワイドショーに頻繁に出演して説明する場面があり、共謀罪の法的な中身については現在よりも国民の理解が深まっていたように思われる。国民世論の方も、今回は、政治の話題になって3か月も経ちながら未だに賛否拮抗というお粗末さだが、当時はすぐに反対多数の空気ができ、賛否拮抗などということはなかった。何と言っても、当時のNEWS23のキャスターは筑紫哲也であり、番組が始まったばかりの報ステのコメンテーターは加藤千洋である。

今とはテレビ報道の陣容と環境がまるで違う。共謀罪の世論調査の数字が賛否拮抗になるわけがないのだ。その問題と関連して、11年前と比較して変化として気づくのは、今回は確信した共謀罪賛成派が多いことである。無知にもとづく賛成とか、テロ対策だからと単純に判断して賛成という態度ではなく、共謀罪が治安維持法の復活だと正確に了解した上で、積極的に賛成の立場にコミットしている者が無闇に多い。自覚した右翼が増え、安倍晋三信者が世論の中で岩盤のボリュームを構成している。ネットを見ると、早く共謀罪を成立させて左翼を捕まえて殺せ、といったような書き込みを何度も目にする。11年前とは様変わりの情景であり、マスコミもこの変化を察知しているだろう。共謀罪が、反基地闘争とか、反原発闘争とか、反政府運動を弾圧する治安立法だという真実を心得た上で、政府が共謀罪を施行することを支持している者が多い。共謀罪が基本的人権を侵害するものだと承知しつつ、左翼の基本的人権なら制限に問題はないという認識を隠さない。おそらく、1930年代も同じ状況だっただろう。米国の愛国者法の濫用によって米国のイスラム教徒が不当な迫害を受けた問題について、5年前や10年前は批判的な論調が多かったが、最近は雰囲気が変わり、米国にも共謀罪があるのだから日本も早くしろという主張がマスコミで流されている。

米国で実施されていることは何でも日本の手本だからという理由づけで、愛国者法についての評価まで変わり、共謀罪を正当化する材料に使われ始めた。悲願が成就する大林宏は嬉々満面に違いない。