2019年7月5日金曜日

高校の「情報」の教科書

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ムスメが学期末試験真っ直中で一夜漬けの日々を送っている。

彼女はリビングで勉強したがるので何やっているのかわかっちゃうのだが、その中で気になることをやっていた。「フォトショの拡張子は…」とか声を出して暗記しているのだ。そして「お父さん、AVIファイルってデータ量が大きいんだっけ?」とか訊いてくる。

なんだなんだ?

そしたら「情報A」とかいう科目と試験があるらしい。ほぉ。そういえばそんなこと言っていたな。ちょい見せてw

教科書を見せてもらって驚いた。
いやぁ、なるほど。いまどきの高校生ってこういうの体系的に教えてもらっているのね。

メディアの概念や記録メディアの変遷から入り、「メディア・リテラシー」とか「ディスクロージャー」とかいうキーワードを習い、「フィッシング」とか「クッキー」とか「アクセスログ」とかがいきなり冒頭で出てくる。この時点でついていけない大人とか普通にいそうだw

ネットの仕組み、検索条件の工夫(AND OR NOT)、メールのCCやBCC、パワーポイントのスライドの作り方まで習う。そういえばムスメも実習でパワポのプレゼン資料を作っていたな。ネットワークの仕組みのところでは「パケット、プロトコル、TCP/IP、FTP」とかの言葉が並ぶ。これ、上司に読ませろw

学習ノートという教科書準拠ノートもあるが、そこに載っている練習問題とか、たとえば「次の32ビットのデータを8ビットずつに区切って10進法に直し、IPアドレスを導き出せ」みたいな感じ。すげえ。htmlも当然あるぞ。「以下のhtmlのタグの穴埋めをしなさい」みたいな練習問題まである。必修科目なのにタグまで!

これ、「ちょっと世の中の動きについていけないかも」とか言ってる方々にうってつけかも。これ一冊通読して覚えれば、IT系の記事ももう怖くない。精読したら偏りとか欠点も見えてくるのかもしれないけど、でも、知らないより知った方がいいことばかり。なるほどねぇ。

こういうのって独学でやっていくものだと普通に考えていたが、もう教科書で教えてもらえる時代なんだなぁ。こういうのを「高校で習った知識」として社会に出てくる若者がいることを、いまの40代50代60代はちゃんと知らないとね。もう「何か特殊なこと」ではない。「誰か得意な人がやること」でもない。教科書に載ってるんだもん。言い訳は通用しない。

どっかで「横澤彪が北野武の秘密の仕事場を訪ねたら、本棚にずらっと高校の教科書が並んでいた」というエピソードを読んだことがあるが、中年以降になると教科書のありがたさって本当によくわかる。人生に必要な知識の大半はあそこに書かれている。山川の「もういちど読む山川日本史」とかが売れているのもそういう理由だろう。

ということで、「情報」の教科書、オススメです。どっかから手に入れて、読むべし。
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2019年6月6日木曜日

老後の同居は幸せな時間を奪う

「老後の同居は幸せな時間を奪う」
 家族と親密に暮らすのが幸せ--。この考え方を疑う余地のない人にとって、高齢者のひとり暮らしは、孤独で寂然とした老後に映るだろう。
 体力が減退すれば、段差につまずいて転倒したりと、生活上のリスクは高まる。家族と同居すれば、リスクと孤独というストレスを避けられるかもしれない。

 現実を見ると、高齢者のひとり暮らしは、決して少数派とはいえない。とくに男女の平均寿命の違いから、ひとり暮らしの女性高齢者の率は高い。65歳以上の高齢者で配偶者のいない女性の割合は55%。80歳以上になると女性の83%に配偶者がいない(下記『おひとりさまの老後』による)。

 彼女たちはみな、家族から同居を避けられ、介護されない“かわいそうな”人たちなのだろうか。社会学者の上野千鶴子さんは明確に「ノー」と否定する。ベストセラーとなった『おひとりさまの老後』でこう綴っている。「高齢者のひとり暮らしを『おさみしいでしょうに』と言うのは、もうやめにしたほうがよい。とりわけ、本人がそのライフスタイルを選んでいる場合には、まったくよけいなお世話というものだ」。

 高齢者の単身世帯率は年々増えている。これは「家族と一緒に暮らすのが幸せ」という予断を裏切るものだ。日本の高齢者に増えている「おひとりさま」の背後には、どのような事情があるのだろうか。

--上野先生は「80歳以上になると、女性の83%に配偶者がいない」と著書の『おひとりさまの老後』で指摘されています。男性より女性の平均寿命のほうが長いため、パートナーが亡くなった場合、必然的に女性のひとり暮らしが増えるのはわかります。ひとり暮らしが増えているということは、子世帯との同居を避けているということですね。高齢者が単身生活を選ぶ理由はなんでしょうか?

上野:NHKの番組で「おひとりさま現象」を取り上げた際、キャスターの国谷裕子さんが「どうしておひとりさまが増えるんでしょうね」とゲストの評論家・樋口恵子さんに問いました。樋口さんいわく「そりゃ、ラクだから」。

 もっともな答えです。同居しないほうが親子双方にとってラクなんですよ。経済的に余裕があれば、別居を選択する人が増えています。

 実際、厚生労働省のデータを見ると、1980年における子との同居率は69%でしたが、2000年には49%、2006年には45%に減っています。

「介護しないのはすまない」から同居
--双方にとってラクということは、それだけ家族との同居はストレスを生みやすいということでしょうか?

上野:当然でしょう。ストレスの原因は、ほとんどが人間関係から生じたものですから。同居していれば、家族からストレスが生まれます。

 たしかに、高齢者施設で暮らす人には盆暮れも一時帰宅ができず、ふだんも訪問する人がいなくて寂しい思いをしている人がいますから、家族がいる人は幸せだと思いますよ。だけど、同居して家族介護が始まってしまったら、互いがストレス要因になります。親密だからいい関係が築けるわけではありません。介護に第三者が介入することは、家族が適切な距離をとる上でとても重要なんです。

 いまの同居は、ほとんどが中途からのものです。というのは、長男であっても結婚と同時に親と別居し、世帯を分離するのが当たり前になったからです。

 高齢者の「幸福度調査」によると、中途同居では幸福度が低い傾向があります。ちなみにいちばん低いのは、“たらいまわし同居”です。しかも子世帯が仕事のある場所を離れられないので、親たちが呼び寄せられての同居です。幸福度が低いのは、それまで住んでいた土地で築いてきた人間関係をすべて失うのみならず、子世帯の「家風」に合わせなければならないことになるからです。

--いったい、高齢者の一人暮らしと家族同居を分けるものは何なのでしょうか?

上野:身も蓋もない話ですが、高齢者の子世帯との同居率は、金持ちと貧乏人で低く、中程度の経済階層で高いことがわかっています。理由がそれぞれまったく違います。

 低経済階層では、そもそも子世帯が自分の生活で手いっぱいで、親の面倒を見る余裕もないので別居しています。比べて、高経済階層だと、経済的に余裕があるので高齢者が自ら別居を選んでいます。

--一方で「中経済階層」は、家族との同居率が高いようですね。中経済階層が子世代と同居をする理由を、どうご覧になりますか? 

上野:介護施設もピンからキリまで。施設に入れるにはしのびないが、二世帯を維持するだけのゆとりもない、という中程度の経済階層に同居率が高くなっています。それだけでなく、「老いた親を放っておくなんて」といった社会規範を、子のほうが意識しているからでしょう。親の介護を引き受ける理由として、「やればできるのに、そうしないのはすまない」という“自責の念”もありますから。積極的に喜んで介護を行う人は少ないでしょう。とくに嫁の立場にある人にとってはね。

 だいたい、日本の法律には「家族には法的な介護責任がある」という規定はありません。あるのは生活扶助義務ですが、これは経済的な扶養義務に限られます。カネを出すことを強制できても、手を出さない人に強制する法律はありません。高齢者虐待防止法では、同居家族には「養護者責任」が発生しますが、別居していれば別です。

選べない介護は「強制労働」
--かつては「(義理の)親の介護は嫁の務め」と言われていました。現在、同居した家族で実際に介護を担っているのは誰なのでしょうか?

上野:同居家族で介護が行われているとき、「誰が誰の世話をしているか」の組み合わせは多様です。

 家族介護の研究をされている笹谷春美さんが、北海道で家族介護の実情を調査したところ、「娘から母」に対する介護が22.2%。「妻から夫」が19.7%、「嫁から義母」が17.8%。「夫から妻」が17.8%という結果が出ました。

 決して「嫁から義母(姑)」ばかりが多いわけではありません。それに同居親族ばかりが介護しているわけではありません。娘の介護の場合には、別居介護が少なくありません。驚くのは、男性介護者の増加です。データによると、06年で24%、08年には28%とほとんど3割に達しています。つまり家族介護者の約3人に1人が男性で、その圧倒的多数が夫です。「介護は女の仕事」という常識は、覆りつつあります。 

--では、家族間の介護の組み合わせで、最もストレスの高い関係はどれでしょうか?

上野:「嫁から義母」の介護です。「やってあたりまえ」で評価も感謝もされず、遺産の相続権もない。ストレスが最大です。その結果、介護虐待も起きていますから、介護する方にとっても、介護される方にとって最も不幸な選択肢と言えます。だから最近では、「介護される方」の選好も、嫁から娘や息子へとシフトしてきました。

 笹谷さんの調査によると、家族が介護者を引き受けた理由を上位3つ挙げてもらったところ、いちばん高いのは、「自分しか介護者がいない」だったそうです。選択肢のない介護を、私たちの業界では、「強制労働」といいます。

--「強制労働」ですか……。

上野:私は口の悪い人間で知られていますが、いくらなんでもこれは私が言ったのではなく、メアリー・デイリーというヨーロッパの研究者の「選べない介護は強制労働だ」という発言によります。

 介護を引き受けるにあたって作用するのが“ジェンダー規範”と“親族規範”です。ジェンダー規範とは、「嫁の務めだから」や「長女だから」というように、男より女の優先順位が、ありがたくないことに、高くなってしまうことです。

 親族規範とは、「長男だから親の面倒を見るのがあたりまえ」と長男を優先するものです。ただし、生前は長男を優先しながら、親の死後の遺産相続では、兄弟姉妹が均分相続を主張するという、長男以外の者にはご都合主義的に使われる規範だということも明らかになっています。

「妻にならワガママを言える」
--戦前の旧戸籍法では「家単位」で戸籍が作られ、婚姻すれば、嫁いだ家の戸籍に記載されました。「○○の娘」という扱いです。戦後の新戸籍法では婚姻によって、各人が親の戸籍を抜けて、「夫婦単位」の戸籍を新たに設けることになりました。嫁から義母の介護が減ったということは、逆にこれまで妻は、夫の親という“他人”に対価なき介護を行うよう強いられてきたわけですね。

上野:地域差と世代差はあっても、この10年で家族介護の優先順位は完全に替わりました。要介護者が自分の介護者として期待する順位は、「配偶者>娘>息子>嫁」の順になりました。

 では、配偶者、つまり夫婦間の介護は幸せなのかといえば、そうともいえません。妻が夫を介護している場合、ともに高齢者である“老老介護”が多い。しかも夫のほうは、妻以外の他人の介入を非常に嫌がります。

 したがって夫が重度の要介護になっても妻は外部の介護資源を利用せず、自宅に抱え込むケースが多い。夫は妻への依存性が高く、24時間侍ることを要求します。妻は外出もままならず、社会的に孤立しやすい。地域に介護資源があるのに、それを利用しにくい状況にあります。

--より質のいいサービスを受けられる可能性があっても、夫はそれを利用することを嫌がるのですか?

上野:はい。なぜなら妻にならいちばんワガママを言えるからです。介護が必要になってから、そういう態度になったわけではなく、もとからそういう関係なのでしょう。

 そもそも家族は介護に関して素人で、プロの介護のほうが質は高いはず。それにもかかわらず、高齢の夫は他人が入ることに抵抗を示し、妻に依存する傾向があります。依存性が高いからといって、夫婦関係が良好とは限らないというのが、この世代の特徴ですね。

介護される側がボランティアに
--逆に、夫が妻に介護をする場合、特徴的な傾向はありますか?

上野:この場合は往々にして「いい旦那さんをお持ちで羨ましいわ」といった美談になります。しかし、夫が妻にする介護の中身をよく見ると体調管理にはじまり生活管理、投薬管理と、こと細かく行い、まるで仕事の延長のような管理介護が特徴です。

 一言でいうと「介護者主導型の介護」です。介護のやり方やスタイル、スケジュールをみんな介護者が決めてしまうため、妻は自分が受けている介護に否とは言えなくなる。

 「奥さんはお幸せね」と周囲は言うけれど、本当に幸せなのでしょうか。「よい介護」とは、基本的に「自分が受けたい介護」です。介護の内容について文句や注文をできないとしたら、妻は「介護されてあげるボランティア」をしていることになります。

 ただ、夫が妻を看る場合のメリットもないわけではありません。まわりが放っておかないことです。「旦那さんが介護をされているのなら大変」とケアマネージャーや第三者が積極的に介入するので、社会的資源を利用しやすい。夫婦間の介護には、こうしたジェンダーの非対称性があります。

--「介護は女の仕事」といったジェンダー規範が変化しつつある中で、「息子から親」の介護のケースが「嫁から義親」より順位が高くなっています。この背景には、何があるのでしょうか?

上野:息子が老親を介護するケースが徐々に増えています。息子がもともとシングルであったか離婚したか。またはリストラされ経済的に苦しくなったことで同居率が高まっています。ところが、この息子たちが親を虐待する加害者のトップを占めているのです。

深刻なパラサイトとネグレクト
--虐待とは、どんな中身のものですか?

上野:「経済的虐待」「身体的虐待」「心理的虐待」の3種類あり、いちばん多いのは経済的虐待です。

 これは親の年金に依存した「年金パラサイト」を指し、親が介護保険や医療保険を使うのを嫌がります。寝たきり状態になってケアマネージャーや民生委員が介入しようとしても、「うちは必要ない」と拒絶するケースが多いのです。

 ケアマネージャーや民生委員が口を揃えて言うのは、「もしおばあちゃんがひとりでいたら、年金も介護保険もあるから、いくらでも介入できる。息子が同居しているばっかりに、手も足も出せない」と。

 身体的虐待については、殴る蹴るの暴行よりも“ネグレクト”、つまり介護放棄が多い。床擦れがひどくなっても放置し、食べ物も与えないケースです。

--息子に独自の経済基盤がないからパラサイトし、現実と直面したくないからネグレクトが起こっているわけですか?

上野:そうです。これが各地で処遇困難事例として問題になっています。家族の意思決定権がいちばん大きいため、第三者が介入しにくいのです。高齢者にとって、パラサイトの息子の存在が人生最大のリスク要因とストレス源になる可能性が高まっています。

--経済不況が続くと、そのリスクは増加するいっぽうになりますね。

上野:はい。しかも親が息子に対し、強い責任感を覚えているため、被害者意識が希薄なのです。「親として子どもを守らなければ」とか「こんな息子に育てた自分が悪い」といった一心同体意識が親側に強いからです。

--親の介護をしたほうが年金で暮らす期間も伸びるはずです。それでも息子が介護放棄するのは、介護スキルがなく、面倒だという考えに基づいているのでしょうか?

上野:いいえ、もっと深刻な理由です。背景には息子の社会的孤立があります。息子が自分のぶんだけ弁当をコンビニエンスストアで買ってきて、親と襖一枚隔てた部屋で食べるなど、気持ちも身体も親に向かわない事例もあります。鬱や自殺念虜を抱えた人もいるといいますから、自分のことで手いっぱいなのでしょう。

--話をうかがっていますと、高齢になったら、ひとりで暮らすほうがリスクは少ないように思えてきました。

上野:シングルのあなただって親のリスク要因になるかもしれませんよ。生活能力も介護能力も経済能力もない男性が社会的に孤立してしまう。これが現在の中高年の息子世代が抱えた最大の問題です。

2019年5月12日日曜日

蘭亭序日本語訳

蘭亭序日本語訳

2015年9月20日 19:12 阅读 7977 新浪博客



永和九年,歲在癸丑,暮春之初,會于會稽山陰之蘭亭,修禊事也。
群賢畢至,少長咸集。
此地有崇山峻嶺,茂林修竹,
永和九年癸丑の歳、三月初め、会稽郡山陰県蘭亭に集ったのは禊(みそぎ)を行うためである。
賢者がことごとく集まり、老いも若きもみな集まった。
この地には高い山と険しい嶺、茂った林、長い竹がある。
 
又有清流激湍,映帶左右,引以為流觴曲水,列坐其次。
雖無絲竹管絃之盛,一觴一詠,亦足以暢敘幽情。
また、清流や早瀬があり、左右に照り映えている。その水の流れを引いて、觴(さかずき)を流すための「曲水」を作り、人々はその傍らに順序よく並んで坐った。
琴や笛のような音楽はないが、觴がめぐってくる間に詩を詠ずるというこの催しは、心の奥深い思いを述べあうのに十分である。
 
是日也,天朗氣清,惠風和暢,
仰觀宇宙之大,俯察品類之盛,
所以游目騁懷,足以極視聽之娛,信可樂也。
この日、空は晴れわたり空気は澄み、春風がおだやかに吹いていた。
仰げば広大な宇宙が見え、見下ろせば万物の盛んなさまがうかがえる。
こうして、目を遊ばせ思いを十分に馳せ、見聞の娯しみを尽くすのは本当に楽しいことである。
 
夫人之相與,俯仰一世,
或取諸懷抱,悟言一室之內,
或因寄所託,放浪形骸之外。
そもそも人間が同じこの世で暮らしていく上で、
ある人は一室にこもり胸に抱く思いを友人と語り、
またある人は志の赴くままに、肉体の外に、自由に振舞う。
 
雖趣舍萬殊,靜躁不同,
當其欣於所遇,暫得於己,快然自足,不知老之將至。
どれを取りどれを捨てるかもみな違い、静と動の違いはあるけれど、
その境遇を喜び、それぞれ合致すればよろこび合う。暫し自分の意のままになるとき、人は快く満ち足りた気持ちになり、老いていくのも気づかない。
 
及其所之既倦,情隨事遷,感慨係之矣。
向之所欣,俛仰之間,已為陳跡,猶不能不以之興懷。
況修短隨化,終期於盡。
その行き着くところに飽きてくると、感情は対象に従い移ろい、感慨もそれにつれて変わってしまう。
以前の喜びはほんのつかの間のうちに過去のものとなってしまうが、だからこそおもしろいと思わずにはいられない。
ましてや、人の命は物の変化に従い、ついには死が定められていることを思えばなおさらである。
 
古人云︰「死生亦大矣。」豈不痛哉。
每覽昔人興感之由,若合一契,
未嘗不臨文嗟悼,不能喻之於懷。
昔の人も「死生はまことに人生の一大事」と言っているが、何とも痛ましいことではないか。
昔の人がいつも何に感激していたかを見ると、割り符を合わせたかのように私の思いと一致し、
その文を読むたび嘆き悼まずにはいられないが、我が心を諭すことはできない。
 
固知一死生為虛誕,齊彭殤為妄作,
後之視今,亦猶今之視昔
死と生を同一視するのは偽りであり、
長命も短命も同じなどというのはでたらめであることは知っているものの、
後世の人々が現在の我々を見るのは、ちょうど今の我々が昔の人々を見るのと同じことだろう。
 
悲夫故列敘時人,錄其所述,
雖世殊事異,所以興懷,其致一也。
後之覽者,亦將有感於斯文。
悲しいではないか。それゆえ今日ここに集う人々の名を列記し、それぞれ述べたところを記録することにした。
時代は移り、事情は異なっても、人々が感慨を覚える理由は、結局は一つである。
後世の人々もまたこの文に共感するにちがいない。

2019年5月9日木曜日

「平凡さの偉大さ 新たな世界秩序を考えて」 文大統領

「平凡さの偉大さ 新たな世界秩序を考えて」 文大統領のFAZ寄稿全文 聯合ニュース
2019.05.07 00:00
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20190505000700882


1 光州


 韓国南西部の光州は韓国の現代史を象徴する都市です。韓国人は光州に心の負い目があり、今でも多くの韓国人が光州のことを考え、絶えず自らが正義に反していないかどうかを問い返しています。


 1980年春、韓国は大学生たちの民主化運動で熱気に包まれました。朴正熙(パク・チョンヒ)政権の独裁体制、維新体制は幕を下ろしましたが、新軍部勢力が政権を掌握しつつありました。新軍部はクーデターを起こし、非常戒厳令を発動して政治家の逮捕、政治活動の禁止、大学の休校、集会・デモの禁止、報道の事前検閲、布告令違反者の令状なしでの逮捕など、過酷な独裁を始めました。


 ソウル駅に集まった大学生たちは新軍部の武力による鎮圧を懸念し、撤収を決定しました。このとき、光州の民主化要求はさらに燃え上がりました。空輸部隊を投入した新軍部は市民たちを相手に虐殺を行い、国家の暴力で数多くの市民が死亡しました。5月18日に落ち始めた光州の花びらは5月27日、空輸部隊の全羅南道庁鎮圧で最後の花びらまでも散ることになりました。


 光州の悲劇は凄絶(せいぜつ)な死とともに幕を下ろしました。しかし、韓国人に二つの自覚と一つの義務を残したのです。一つ目の自覚は、国家の暴力に立ち向かったのが最も平凡な人々だったということです。暴力の怖さに打ち勝ち、勇気を出したのは労働者や農民、運転士や従業員、高校生たちでした。死亡者の大半も、そうした人々でした。


 二つ目の自覚は、国家の暴力の前でも市民たちは強い自制力で秩序を維持したということです。抗争が続いていた間、ただの一度も略奪や盗みがなかったということは、その後の韓国の民主化過程における自負心、行動指針となりました。道徳的な行動こそ、不正な権力に対抗して平凡な人々が見せることのできる最も偉大な行動だということを、韓国人は知っています。道徳的な勝利は時間がかかるように思えますが、真実で世の中を変える一番早い方法なのです。


 残された義務は、光州の真実を伝えることでした。光州に加えられた国家の暴力を暴露し、隠された真実を明らかにすることがすなわち、韓国の民主化運動でした。私も南部の釜山で弁護士として働きながら、光州のことを積極的に伝えようとしました。多くの若者が命を捧げて絶えず光州をよみがえらせた末に、韓国の民主主義は訪れ、光州は民主化の聖地となったのです。


 孤独だった光州を一番先に世の中に伝えた人が、ドイツ第1公共放送の日本駐在の特派員だったユルゲン・ヒンツペーター記者だったという事実は非常に意義深いことです。韓国人はヒンツペーター氏に感謝しています。故人の意向により、同氏の遺品は2016年5月、光州の五・一八墓域に安置されました。


2 ろうそく革命、再び光州


 私が1980年の光州について振り返ったのは、今の光州について話したかったためです。


 2016年、厳しい冬の寒波の中で行われた韓国のろうそく革命は、「国らしい国」とは果たして何であるかを問いながら始まりました。韓国では1997年のアジア通貨危機と2008年のリーマン・ショックを経て、経済不平等と二極化が進みました。金融と資本の力はより強くなり、非正規雇用労働者の量産で労働環境は悪化しました。そんな中、特権階層の不正・腐敗は国民に一層大きな喪失感を与えました。ついには韓国の南方沖、珍島の孟骨水道を航海していた旅客船のセウォル号でかけがえのない子どもたちが救助も受けられずに亡くなり、韓国の国民は悲しみを胸に抱いたまま、自ら新たな道を探し始めました。


 ろうそく革命は親と子が一緒に、母親とベビーカーの幼児が一緒に、生徒と先生が一緒に、労働者と企業家が一緒に広場の冷たい地面を温めながら、数カ月にわたり全国で続きました。ただの一度も暴力を振るうことなく、韓国の国民は2017年3月、憲法的価値に背いた権力を権力の座から引きずり下ろしました。最も平凡な人々が、一番平和的な方法で民主主義を守ったのです。1980年の光州が、2017年のろうそく革命で復活したのです。私は、韓国のろうそく革命について歌と公演を織り交ぜた「光の祭り」と表現し、高いレベルの民主主義意識を示したと絶賛したドイツの報道をありがたい気持ちで記憶しています。


 今の韓国政府はろうそく革命の願いによって誕生した政府です。私は「正義のある国、公正な国」を願う国民の気持ちを片時も忘れていません。平凡な人々が公正に、良い職場で働き、正義のある国の責任と保護の下で自分の夢を広げられる国が、ろうそく革命の望む国だと信じています。


 平凡な人々の日常が幸せであるとき、国の持続可能な発展も可能になります。包容国家とは、互いが互いの力になりながら国民一人一人と国全体が一緒に成長し、その成果を等しく享受する国です。


 韓国は今、「革新的包容国家」を目指し、誰もが金銭面を心配することなく好きなだけ勉強し、失敗を恐れず夢を追い、老後は安らかな生活を送れる国を築いていっています。こうした土台の上で行われる挑戦と革新が民主主義を守り、韓国経済を革新成長に導くものと信じています。


 包容国家は社会経済体制を包容と公正、革新の体制に変える大実験です。韓国では雇用部門で、より良質な雇用をより多く生み出すため努力しています。労働者がより良い生活を送り、働いただけ正当な対価を得られるよう、社会的合意を通じて最低賃金の引き上げと労働時間の短縮を進めています。若者の雇用のための予算を増やすとともに、退職後の人生にも責任を負うべく中年層の再就職訓練に対する支援を実施しました。また高齢者の基礎年金を引き上げ、雇用関連予算を増やしました。


 経済部門では、これまで韓国経済を支えてきた大企業と中小企業の共生に取り組んでいます。革新的なベンチャー企業や中小企業がどんどん成長していけるよう、規制を大胆に取り除き、金融も革新を評価する方向に変えていっています。


 福祉部門ではライフサイクルに合わせた社会保障システムの構築を進めています。医療保険の保障範囲を広げ、安心して子育てできるよう保育サービスの拡充に努めています。誰もが差別されない社会を目指し、発達障害者のライフサイクルごとの総合対策を立て、女性の権益を増進する一方、性差別には断固として対処しています。外国人労働者の子どもや国際結婚家庭に対する支援も強化しています。教育部門では入試競争や詰め込み式教育を脱却し、創意性を重視する革新教育にシフトしていく予定です。


 しかし、慣れ親しんだ慣習を脱し、変化していく過程では葛藤も起こり得ます。利害関係が異なる人々の間で対話し、調整し、妥協する時間が必要です。これを通じ、皆に利益になることを探していかねばなりません。大実験を成功させるには社会的大妥協が伴う必要があります。


 韓国は植民地支配と戦争で廃墟と化しましたが、わずか70年ほどで世界11位の経済大国に成長しました。私たちは、こうした成果を変化にスピーディーに対処することで成し遂げました。農業から軽工業、重化学工業、先端情報通信技術(ICT)に至るまで、どの国も不可能だったとてつもない変化を自ら成し遂げ、第2次世界大戦後の新生独立国のうちで唯一、先進国に飛躍しました。韓国には、裸一貫から成功を遂げた底力があります。韓国国民は変化を恐れず、むしろ能動的に利用する国民です。


 近ごろ、光州で意味のある社会的大妥協が起きました。適正賃金を維持しながらより多くの雇用を得るため、労働者と使用者、民間と政府がそれぞれの利害を離れて5年以上も向き合いました。労働者は一定部分の賃金を諦めねばなりませんでした。使用者には、雇用を保障し、労働者の福利厚生に責任を負いつつもコストを維持せねばならないという困難がありました。人間らしい暮らしを守ろうとする民間の要求が強く、各種法規を調整して安定した企業運営を支援せねばならない政府もまた、妥協に苦労しました。


 簡単ではありませんでしたが、譲歩と分かち合いによって最終的に大妥協を成し遂げました。韓国ではこうして生み出された雇用を「光州型雇用」と呼びます。韓国人は、大義のため自らを犠牲にする「光州精神」がもたらした結果だと受け止めています。民主化の聖地、光州が社会的大妥協の模範を作り、経済民主主義の第一歩を踏み出したと考えています。


 「光州型雇用」には雇用を生み出すこと以上の意味があります。それは、より成熟した韓国社会の姿を反映していることです。産業構造が急変していく中で労働者と使用者、地域がどう共生していけるのかを示したのです。


 「光州型雇用」は「革新的包容国家」へ向かう上で非常に重要な転換点になるでしょう。韓国人は長年の経験から、少し時間がかかるように思えても社会的合意を成し遂げ、共に前に進んでいく方が皆にとって良いということを知っています。少しずつ譲歩しながら一緒に歩んでいく方が結局は近道だということも、よく理解しています。1980年5月の光州が民主主義のろうそくになったように、「光州型雇用」は社会的妥協で新たな時代の希望を示し、包容国家の踏み石となりました。


 包容は平凡さの中に偉大さを見つけることです。平凡の集まりが変化をつくり出すことのできる、新たな環境を整えることです。韓国政府は今、「光州型雇用」の成功が全国に広がるよう全力を尽くしています。


 ドイツは包容と革新を最も理想的に具現した国の一つです。平和的な方法で統一を実現した歴史と、包容と革新によって社会の統合を成し遂げた事例は、私たちに常にひらめきをもたらしました。韓国の光州も、新たな秩序を模索する世界の多くの人々にひらめきを与えられればと願っています。


3 平凡な人々の世界


 韓国ではちょうど100年前、平凡な人々が力を合わせて新たな時代を開きました。日帝(日本)による植民地支配を受けていた人々が、1919年3月1日から独立万歳運動を始めました。202万人、当時の人口の10%が参加した大規模な抗争でした。木こり、妓生、視覚障害者、鉱員、作男、名前も知られていない平凡な人々が先頭に立ちました。


 韓国で三・一独立運動が重要である理由は二つです。一つはこの運動を通じて市民意識が芽生えたことです。一人一人に国民主権と自由と平等、平和に向けた熱望が生まれ、これによって階層、地域、性別、宗教の壁を超えました。一人一人が王政の百姓から国民に生まれ変わりました。そして大韓民国臨時政府を樹立しました。


 臨時政府は日帝に対する抵抗を超え、完全に新しい国を夢見ました。1919年4月11日、国号を大韓民国と定めて「臨時憲章」を公布し、大韓民国は君主制ではなく民主共和国であることを明確にしました。臨時憲章第3条では「大韓民国の人民は男女、貴賤、貧富、階級を問わず平等だ」と明示しました。女性を含む全ての国民の選挙権と被選挙権も保障しました。当時、臨時政府の構成に加わった韓国の独立運動家の安昌浩(アン・チャンホ)はこう言いました。「過去に皇帝は1人だったが、今は2000万人の国民が皆皇帝です」。民主共和国を表現した、実に明快な言葉です。


 臨時政府は27年近く、亡命地で植民地解放運動を展開しました。世界の植民地解放運動史において極めて珍しいケースです。臨時政府があったからこそ、列強の国々はカイロ宣言を通じて韓国の独立を保障することになるのです。


 三・一独立運動が重要である二つ目の理由は、心を一つにすることほど大きな力はないと気付き、互いを信じて一度も行ったことのない道へ進んだということです。当時、運動に加わって日帝の監獄に入れられた韓国の近代小説家、沈薫(シム・フン)は母親にこんな手紙を送りました。


 「お母さん! 私たちが千回、万回、祈りを捧げても、固く閉ざされた獄門がおのずと開かれることはないでしょう。私たちがどれだけ声を張り上げて泣き叫んでも、大きな願いが一朝にしてかなうこともないでしょう。しかし、心を一つにすることほど大きな力はありません。一丸となって行動を同じくすることほど恐ろしいことはありません。私たちはいつもその大きな力を信じています」


 韓国の近現代史は挑戦の歴史でした。植民地と南北分断、戦争と貧困を超え、民主主義と経済発展を目指して前進してきました。その歴史の波をつくったのは、平凡な人々でした。三・一独立運動後の100年間、韓国人は誰もがそれぞれの胸に泉(力の源泉)を抱いて生きてきました。危機のたびに一緒になって行動しました。「豊かに暮らしたいが、一人だけ豊かに暮らしたくはない」「自由になりたいが、一人だけ自由になりたくはない」という気持ちが集まり、歴史の力強い波となりました。


 私は、民主主義は制度や国家運営の道具ではなく、内在的価値だと考えています。平凡な人々が自分の暮らしに影響を与える決定の過程に加わり、声を上げることで、国民としての権利、人間としての尊厳を見いだすことができると思います。私たちはより良い民主主義をつくれるのです。ジョン・デューイの言葉のように、民主主義の問題を解決するためにはより多くの民主主義を行うしかないのです。


 民主主義は平凡な人々により尊重され、補完されながら広がっています。制度的で形式的な完成を超え、個人の暮らしから職場、社会に至るまで実質的な民主主義として実践されています。平凡さの力であり、平凡さが積み重なって成し遂げた発展です。


 100年前、植民地の抑圧と差別に立ち向かい闘った平凡な人々が、民主共和国の時代を開きました。自由と民主、平和と平等を成し遂げようとする熱望は100年がたった今なお強いのです。国が国らしく存在できないとき、三・一独立運動の精神はいつでもよみがえりました。


4 平凡さのための平和


 東洋には「乱世に英雄が生まれる」という言葉があります。しかし、乱世こそ平凡な人々が自分の人生を自ら開いていくことのできない時代です。英雄は生まれますが、平凡な人々は不幸に陥る時代です。


 中国の古典「史記」の「孫子呉起列伝」にこんな一節があります。「人曰、子卒也、而将軍自吮其疽、何哭為」。人いわく「息子が卒兵なのに将軍が自ら息子の腫れ物の膿を口で吸い出してくれた。どうして泣いているのですか」。泣く必要はないのにどうして泣いているのかという意味です。母親は、息子が将軍の行動に感激し、戦場で必死に戦って死ぬのではないかと思って泣いたのです。「史記」にはその母親の夫も同じことを経験して必死に戦い、死んだと記されています。


 「史記」の著者の司馬遷は将軍・呉起の立派な行動を伝えようとしたのですが、この話は夫を失った妻のふびんな境遇が行間に潜んでいます。私たちの好きな英雄譚(たん)には、常に自らの運命を奪われた平凡な人々の悲劇が隠されているのです。


 韓国の分断の歴史にも、平凡な人々の涙と血が染みついています。分断は個人の人生と思考を反目に慣れさせました。分断は既得権を守る方法、政治的な反対者を葬る方法、特権と反則を許す方法として利用されました。平凡な人々は分断という「乱世」の間、自分の運命を自ら決められませんでした。思想と表現、良心の自由を抑圧されました。自己検閲を当然のものと考え、不条理に慣れていきました。


 この長きにわたる矛盾した状況を変えてみようという熱望は、韓国人がろうそくを掲げた理由の一つでした。民主主義を守ることで平和を呼び込もうとしたのです。ろうそくが平和に向かう道を照らさなかったなら、韓国は今も平和に向けて一歩も踏み出せずにいたでしょう。ろうそく革命の英雄は、極めて平凡な人々の集団的な力でした。「乱世に英雄が生まれる」という東洋の古言は「平凡な力が乱世を克服する」という言葉に変えるべきでしょう。


 私は、季節が変わりゆくように人間社会の出来事にも過程があると信じています。東・西ドイツ間の鉄のカーテンが欧州を貫く巨大な生命の帯「グリーンベルト」に完全に変貌したように、朝鮮半島の平和が東西を横切る非武装地帯(DMZ)にとどまらず南北に拡大し、朝鮮半島を超えて北東アジア、欧州まで広がっていくことを期待しています。朝鮮半島全域にわたり長く固着している冷戦的な葛藤と分裂、争いの体制が根本的に解体され、平和と共存、協力と繁栄の新秩序に置き換わることを目指しています。韓国ではこれを「新朝鮮半島体制」と名付けました。


 「新朝鮮半島体制」は朝鮮半島の地政学的大転換を意味します。朝鮮半島は地政学的に大陸勢力と海洋勢力が衝突する断層線にあります。欧州のバルカン半島と似ています。このため、歴史的にたびたび戦争の受難を経験しました。特に、朝鮮半島の南と北が非武装地帯を境界に分断されて以降、韓国は事実上、大陸とのつながりが断たれた「島のような存在」でした。


 朝鮮半島に新たな秩序を築くことは、島と大陸をつなぐ橋を築くことです。昨年4月、私は南北軍事境界線がある板門店で北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長(朝鮮労働党委員長)と会いました。北朝鮮の最高指導者が朝鮮戦争以来で初めて、韓国側の地へ越えてきた歴史的な瞬間でした。私たちはそこで、互いに対する軍事的な敵対行為をやめようと約束しました。


 その最初の措置として、非武装地帯の監視所の一部を撤去し、周辺地域の地雷撤去作業も実施しました。非武装地帯内に南と北をつなぐ道路が敷かれ、13柱の遺骨も発掘され故国に戻りました。こうした作業を進めていたところ、昨年11月にはそれぞれ南側と北側を出発した軍人が朝鮮戦争の最後の激戦地だった矢じり高地で鉢合わせする出来事がありました。彼らは互いに銃口を下ろして握手を交わし、予想外の遭遇を楽しみました。朝鮮戦争の休戦協定締結から65年にして、このように非武装地帯に春が訪れたのです。


 朝鮮半島の春はドイツのベルリンから始まりました。私は2017年7月、金大中(キム・デジュン)元大統領による2000年の「ベルリン宣言」に続き、ろうそく革命の熱望を込めてベルリンで朝鮮半島の新たな平和構想を語りました。当時、多くの人々は単なる希望事項にすぎないと考えました。朝鮮半島の冬はなかなか去る様子はなく、北朝鮮は核実験とミサイル発射を繰り返して危機を高めていました。周辺国も制裁を次第に強化し、「4月危機説」「9月危機説」が飛び交い、韓国人は本当に戦争が起きるのではと心配しました。


 ドイツのウィリー・ブラント元首相は「一歩も進まないより、小さな一歩でも進む方がいい」と言いました。私の考えも同じでした。何かを始めなければ、国民の熱望をかなえることはできませんでした。「小さな夢を見てはいけない、それは人の心を動かす力がない」というゲーテの文章を思い出しました。冬を抜けて春の新芽を芽生えさせるには、朝鮮半島の非核化と恒久的平和という大きな夢を語る必要がありました。国民らと一緒に成し遂げられる、大きな夢でなければならなかったのです。


 北朝鮮は2018年1月の新年の辞で南北関係を改善する用意があると表明し、韓国の大きな夢に応えてきました。続けて、平昌冬季五輪への参加の意向を伝えてきました。周辺国と欧州の国々までもが朝鮮半島の雪解けに支持と声援を送ってくれました。韓国の国民は、平昌五輪を平和五輪にするため心を合わせました。


 「ベルリン宣言」で、私は北朝鮮に「簡単なことからやろう」と呼び掛け、四つのことを提案しました。平昌五輪参加、朝鮮戦争などで生き別れになった南北離散家族の再会事業、互いに対する敵対行為の中断、そして南北間の対話と接触の再開です。驚いたことに、この四つは2年が過ぎた今、全て現実のものになりました。昨年2月の平昌冬季五輪の開会式で、南北の代表選手団は世界の人々が見つめる中で朝鮮半島旗(統一旗)を掲げて合同入場しました。離散家族が再会し、今やいつでも映像を通じて再会できるシステムを備えています。何よりも朝鮮半島の空と海、陸地で銃声は消えました。私たちは北朝鮮の地、開城に共同連絡事務所を開設し、日常的に互いが対話し、接触するチャンネルをつくりました。朝鮮半島の春が、こうしてにわかに近づいてきたのです。


 これまで私が残念に思っていたことは、韓国の国民が休戦ラインの向こうをもはや想像できないことでした。朝鮮半島で南と北が和解し、鉄道を敷き、人と物が行き交うようになれば、韓国は「島」ではなく海洋から大陸に進出するための拠点、大陸から海洋に出ていくための関門になります。平凡な人々の想像力が広がるということはすなわち、理念から解放されるという意味でもあります。国民の想像力も、生活の領域も、思考の範囲もはるかに広がり、これまで耐えねばならなかった分断の痛みを癒やせるでしょう。


 今や南北の問題は理念や政治に悪用されてはならず、平凡な国民の生命と生存の問題に広げていかねばなりません。南と北はともに生きていくべき「生命共同体」です。人が行き来できない状況でも病虫害が発生し、山火事が起こります。目に見えない海上の境界は操業権を脅かしたり、予想外の国境侵犯で漁民の運命を変えたりします。こうした全てのことを元に戻すことが、まさに恒久的平和なのです。政治的、外交的な平和を超え、平凡な人々の生活のための平和です。


 「新朝鮮半島体制」は受動的な冷戦秩序から能動的な平和秩序への転換を意味します。かつて、韓国国民は日帝の占領と冷戦により自身の未来を決められませんでした。しかし今、自ら運命を切り開こうとしています。平凡な人々が自分の運命の主人になるのです。


 朝鮮半島と北東アジアの既存秩序は、第2次世界大戦の終戦と同時に北東アジアに植え付けられた「冷戦構造」と深く関わっています。戦後処理の過程で韓国人の意思とは異なり分断が決まり、悲劇的な戦争を経験せねばなりませんでした。このとき、韓米日の南方3角構図と、これに対応する北朝鮮と中ロの北方3角構図が暗黙のうちに定着することになりました。


 こうした冷戦構図は1970年代のデタント(緊張緩和)と1990年代のソ連解体、中国の市場経済導入でかなり解消されましたが、朝鮮半島でのみ、今なおそのままです。南北は分断されており、北朝鮮は米国、日本と正常な国交を結んでいません。こうした状況で、南北は昨年、「板門店宣言」と「平壌宣言」を通じて敵対行為の終息を宣言することで、恒久的な平和定着に向けた最初のボタンを掛けました。同時に、北朝鮮と米国は非核化問題とあわせて関係正常化のための対話を継続しています。朝米(米朝)が対話によって完全な非核化と国交を実現し、朝鮮戦争の休戦協定が平和協定に完全に置き換えられてはじめて冷戦体制は崩れ、朝鮮半島に新たな平和体制が築かれるでしょう。


 平和はまた、共に豊かに暮らす国に発展するための基盤となります。「新朝鮮半島体制」は平和経済を意味します。平和が経済発展につながり平和をより強固にする、好循環の構造を指します。南と北は恒久的な平和定着を促進するため、共に繁栄できる道を思い悩んでいます。すでに、断ち切られた鉄道と道路の連結に着手しました。韓国の技術者たちが分断以来で初めて北朝鮮の鉄道の状況を調査しました。鉄道と道路の連結事業の着工式も開催しました。


 南北経済交流の活性化は、周辺国と結びつきながら朝鮮半島を超え東アジアとユーラシアの経済回廊に生まれ変わることができます。南北とロシアはガスパイプをつなぐ事業について実務的な協議を始めています。昨年8月には、北東アジア6カ国と米国でつくる「東アジア鉄道共同体」を提案しました。私は「欧州石炭鉄鋼共同体」をモデルに「東アジア鉄道共同体」を北東アジアのエネルギー共同体、経済共同体に発展させたいと考えています。この共同体はさらに、多者(多国間)平和安全保障体制に発展していけるでしょう。


 韓国が推進している「新南方政策」と「新北方政策」により、朝鮮半島の平和経済は一層拡大するでしょう。新北方政策はユーラシアとの経済協力に道を開くものです。北朝鮮は昨年6月、ユーラシアの国々が全て加わっている鉄道国際協力機構への韓国の加盟に初めて賛成しました。釜山からベルリンまで鉄道で移動できる日が来るでしょう。韓国は南北和解を基に北東アジアの平和の促進者となるでしょう。


 新南方政策は朝鮮半島が東南アジア諸国連合(ASEAN)、西南アジアとともに新たな戦略的協力を模索するものです。韓国は人(People)、平和(Peace)、繁栄(Prosperity)の共同体を中核価値と見なし、周辺国と人的・物的交流を強化していきます。アジアが持つ潜在力をともに実現し、共同繁栄の道を模索していきます。


 韓国国民は、平凡な人々の自発的な行動が世の中を変える最も大きな力だということを示しました。こうした力は最後に残った「冷戦体制」を崩壊させ、「新朝鮮半島体制」を主導的に築いていく原動力になるでしょう。重要なことは、1人の平凡な人が自分の意思と関係なく不幸になる状況を防ぐことです。平和の実現も、結局は平凡な国民の意思によって始まり、完成され得るということを世界に示せるよう望みます。


5 包容的世界秩序を目指して


 第2次世界大戦以降、欧州もやはり冷戦の渦中に飲み込まれていきました。各国の政府は新たな同盟戦略を模索しました。冷戦で分断されたドイツは平和を目指して大胆に前進し、欧州の変化をけん引しました。


 ベルリンの壁によって突如として生き別れになったドイツの45万人の市民らは統一と平和への願いを抱き、1963年6月、ブランデンブルク門前の西ドイツ側に集まりました。その年、ウィリー・ブラント西ベルリン市長はクリスマス期間に別れた家族や親戚に会えるようにするための交渉を提案しました。東方政策の始まりでした。東西ドイツが互いを競争と封鎖の対象ではなく、協力と共生の対象として見るようになりました。


 東ドイツのライプチヒでは1980年代初めから、毎週月曜日に小さな祈祷(きとう)会が開かれました。この小さな祈祷会は1989年10月9日、選挙と旅行の自由、ドイツ統一を要求する平和行進に発展しました。7万人で始まった平和行進は、わずか2週間で30万人を超えました。1カ月後の11月9日、ベルリンの壁が崩壊しました。


 欧州の平凡な市民たちが平和の実現に乗り出し、積極的に各国政府を動かしたからこそ、欧州の秩序が変わったのだと思います。欧州の市民たちの意志と行動は1952年、欧州連合(EU)の母体となった「欧州石炭鉄鋼共同体」を発足させ、1975年には現在の欧州安全保障秩序の起源と言える「欧州安全保障協力会議」を胎動させました。


 欧州の事例から分かるように、国家間の関係において包容性は非常に重要です。国境と分野を超えて包容し、公正なチャンスと互恵的な協力を保障するとき、世界はともに豊かに暮らし、ともに発展することができます。しかし、戦後秩序の根幹である自由貿易主義と国際主義が顕著に弱まり、再び保護貿易主義と自国優先主義がうごめいています。こうした国際的な危機は、包容と協力の精神を消しつつあります。国際社会の一員としての各国の責任と規範を強調する協力の政治が切実に求められます。


 再び、平凡な人々が重要です。平凡な人々が変えられることは、国内問題に限られません。国家を変えれば、世界秩序も変えられます。平凡な全ての人々が国家運営を自身の権利、責任と考え、世界の運命を自身の運命と関連付けて考えるとき、新たな世界秩序は築かれるでしょう。平凡な人々が国境や人種、理念や宗教を超えて連帯し、協力するとき、世界は共に豊かに暮らす持続可能な発展を遂げるでしょう。


 社会的弱者をのけ者にせず、働いただけ対価を受け取り、安定した福祉で多数が成長の果実を享受する世界が、包容的世界です。すでに私たちは韓国や欧州、世界のあちこちで平凡な人々が包容によって成し遂げてきた成果を知っています。


 ドイツは自由な市場経済を追求する一方で、雇用不安、賃金格差、貧困、老後不安などさまざまな社会的リスクに対する保障を提供し、社会統合を果たしました。北欧の国々は多額のコストを伴う福祉制度が国の競争力を弱めないよう、絶え間ない教育投資を通じて国の革新力を保ちました。


 特定の国家や公共部門の努力だけで、気候変動のような地球全体の問題を解決することは不可能です。国連の「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)は昨年、「地球温暖化1.5度報告書」を採択しました。気候の専門家らは、産業化以前に比べて地球の気温上昇を1.5度に抑えられれば、2度上がった場合と比較して1000万人の命を救うことができると見込みました。国際的な支援と協力により、全ての国が気候変動に共同で対応してこそ達成できる目標です。


 世界的に包容性を受け入れることも重要です。紀元前2000年から、アジアの国々は「治山治水」を成功的な国家運営の最初の徳目と見なしていました。「山と水を治める」という意味のこの言葉には、「自然を尊重する」という精神が込められています。木を育てて山崩れを防止し、水をせき止めておくよりも自然に流れるようにして洪水と干ばつの被害を減らそうとしました。人間と自然、開発と保全を分けて考えることはしませんでした。私は、これは世界が追求する持続可能な発展と通じるところがあると思います。


 しかし現在、なお多くの国が経済発展と環境保護を別のものと見なしています。先進国と開発途上国の間で、相手の立場に立って考える精神が必要です。私たちだけでなく未来の世代が一緒に生きていく地球のため、人間と自然が共に生きていく知恵と、平凡な人々が持つ包容の力を発揮するときです。そうすれば、新たな世界秩序と持続可能な発展という夢は現実のものになるでしょう。


 各国が包容性を強化して国家間の格差を減らし、国民の世界市民として考える力を養う必要があります。平凡な市民が成し遂げた欧州の統合と繁栄は、世界をよりよいものにしようとする人類に意志と勇気を与えてくれるでしょう。


6 平凡さの偉大さ


 平凡な人々が自分の人生を開いていけること、日常の中で希望を持ち続けられること、ここに新たな世界秩序があります。歴史書に全く出てこない人々、名前ではなく労働者、木こり、商人、学生といった一般名詞で登場する人々、こうした平凡な人々が一人一人、自分の名前で呼ばれなければなりません。世界も、国家も、「私」という1人で始まります。働いて夢を見る、日常を維持していく平凡さが世界を構成しているということを、私たちは認識する必要があります。


 そのためには、1人の人生が尊重されねばなりません。1人の人生の価値がどれだけ重要なのか自分でも理解する必要がありますが、歴史的に、文化的に再評価されるべきだと思います。自身の行動が周囲に影響を与えられるということ、またどんな行動が周囲に広がり、最終的にどんな結果をもたらし得るのかについて語り、記録に残さねばなりません。


 平凡さが偉大であるためには、自由と平等に劣らず正義と公正が保証されるべきです。人類の全ての話は「善事を勧め、悪事を懲らしめる」という平凡な真理を反すうします。東洋では「勧善懲悪」という四字熟語で表現します。この簡明な真実が正義と公正の始まりです。無限競争の時代が続いていますが、正義と公正がより普遍化した秩序となるべきです。


 正義と公正の中でのみ、平凡な人々が世界市民に成長できます。今はまだ何もかもが進んでいる最中のようですが、人類が歩んできた道に新たな世界秩序に対する解決策があります。東洋には「人は倉に穀物がいっぱい詰まっていれば礼節を知り、衣服や食物が満ち足りてこそ栄誉と恥辱を知る(倉廩実而知礼節、衣食足而知栄辱)」という古言があります。正義と公正によって世界は成長の果実を等しく分かち合えるようになり、これを通じて皆に権限が与えられ、義務が芽生え、責任が生じるでしょう。


 今、世界が危機だと捉えていることは平凡な人々が解決していくべきことです。これは一国では解決できない問題であり、1人の偉大な政治家の慧眼では成し遂げられないことです。苦しんでいる隣人を助け、ごみを減らし、自然を大切にする行動が積み重なっていくべきです。こうした行動を取る人が1人しかいなければ「何を変えられるだろう?」と懐疑的になるかもしれませんが、この小さな行動が積み重なれば流れが大きく変わります。


 そして結局、私たちは世界を守り、互いに分かち合いながら、平和な方法で世界を少しずつ変化させられるようになるでしょう。平凡な人々の日常がそうであるように、ゲーテが残した警句のように「急がずに、だが休まずに」。


*同寄稿文は韓国語の原文を聯合ニュースが翻訳したものです。


※資料
光州事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
光州事件(こうしゅうじけん)は、1980年5月18日から27日にかけて大韓民国(韓国)の全羅南道の道庁所在地であった光州市(現:光州広域市)を中心として起きた民衆の蜂起。
5月17日の全斗煥らのクーデターと金大中らの逮捕を契機に、5月18日にクーデタに抗議する学生デモが起きたが、
戒厳軍の暴行が激しかったことに怒った市民も参加した[1]。デモ参加者は約20万人にまで増え、木浦をはじめ全羅南道一帯に拡がり、
市民軍は武器庫を襲うと銃撃戦の末に全羅南道道庁を占領したが[3][4]、5月27日に大韓民国政府によって鎮圧された。


2017年5月18日、自身も光州事件経験者である文在寅大統領は、5.18民主化運動37周年記念式における演説で、
「文在寅政府は光州民主化運動の延長線上に立っています。」
「新政府は5.18民主化運動とろうそく革命の精神を仰ぎ、この地の民主主義を完全に復元します。光州の英霊たちが心安らかに休めるよう成熟した民主主義の花を咲かせます。」
「光州精神を憲法に継承する真の民主共和国時代を開きます。」
「5.18精神を憲法前文に含める改憲を完了できるようこの場を借りて国会の協力と国民の皆様の同意を丁重に要請します。」と述べた。
また、大統領選挙活動中、憲法前文に光州事件の民主化運動の精神を盛り込むことを公約している。

2019年5月5日日曜日

前川氏2


https://www.youtube.com/watch?v=mJ2JderH_94

前川氏


ワイマール憲法


ワイマール憲法


立派だが二級である

"
解説には
律令について、社会規範を規定する刑法的な律と社会制度を規定する行政法的な令
とあるが
法律と政令という言い方にもみられるように
律が重要法で令は軽い法ともみられる

徳政令とか生類憐みの令とかであまり良いイメージではない

令を麗しいの意味であると語る人がいるが、疑問がある。
法令→それを扱う役人→役人にまつわる人や物の形容→立派な→麗しい
との一連の流れであろう
つまり、偉い地方の役人ということで、いまでいえば県知事程度のものだろう

そのような比較的軽い法律を扱う官吏が地方各所にいて
人々におだてられて過ごしていた
その人たちの妻を令夫人と言い、娘を令嬢と言ったものであろうが
普通の語法では、立派なふりはしているが、中身には問題がある夫人や娘といった意味で使うことが多いと思う

論語で巧言令色すくなきかな仁という場合の令色であるが
これは上に述べた令夫人や令嬢と同じで、
立派そうに見えるが中身がない様子のことを指している
巧言というのも巧みであるがこざかしいという程度の侮蔑を含んでいる

このようにしてみてみると、法律の体系の中で、最重要のものではないものが令である
中程度、第二級ということだ
そのような言葉を、天皇のおくり名としてよいものか、ためらいはなかったものだろうか

そして令色、令夫人、令嬢に見られるように、立派そうに見えるが実際はこざかしい、という程度の意味を含んでいるのだから、
立派とみんなで言っているが、実際には侮蔑しているという意味の令を天皇のおくり名とすることもいかがなものであるか

天皇家の伝統でも皇太子またはその程度の人物の発する文書を令旨(りょうじ)という。天皇の発する文書ではない。その令を天皇のおくり名にすることは不適切であろう。

令と言えば、律令の中で大した法律でもなく、扱うのは地方の小役人であり、その小役人の妻を令夫人と言い娘を令嬢と言って揶揄した、令旨に至っては皇太子の発する文書であって、天皇にふさわしいものではない、令色も二級の立派さであって、本当はこざかしいという意味だろう、だから論語はすくなきかな仁と語る。

以上まとめると、天皇にはふさわしくない漢字であり、周囲の官吏が進言することはないはずであるが、古来、偉大な人は自分の名前として、愚や凡などの漢字を用いることもあるので、そのような意味で自らしゃれたものだろうと推定される。したがって、自分で用いるのは良いであろうが、他人が天皇にまつわることについて、「二級の立派さ」とわざわざ「令」の字を使うならば、その心を疑う。
"





水が清らかに澄む

玲瓏 玲 「令」が「清らかに澄んだ」状態を指し、「王」はもともと「玉」の意味をもつので、「清らかに澄んだ玉」の意味になった。
1. 玉や金属がふれ合って鳴る美しい音
2. 透き通るように美しい様子


1. 静かに降る雨。零雨
2. 落ちる。こぼれる
3. こぼす。あまる
4. ゼロ

由来/
成り立ち 「令」はお辞儀をして神様にお願いする様子で、「雨」と組み合わせ、神様に願いが通じて「静かに雨が降り始める」様子を表す。
1.
取るに足りないまでに小さい。 「零細企業」
2.
《名・造》ものが全く無いことを表す数。一より一小さい数。数学で、それを他に加えても値が変わらない数、更に広く、そういう元。また、目盛りなどの基準となる点。 

怜 「忄(りっしんべん)」は心を、「令」は澄み透ることを表すので、「怜」には「心が澄む」様子を意味する。
1. 賢い
2. いつくしむ。あわれむ


「ひざまずいて神のお告げを受けている人」を表す「令」に、「金」を組み合わせて「神様を呼び、また送るときに用いる金属(楽器)」を表現している。
1. すず。リン
2. 鈴の鳴る音の形容
3. 車の左右のおおい
4. 呼び鈴。ベル


立派な歯


 ①みみなぐさ。 ナデシコ科の二年草。 ②かんぞう(甘草)。


「亻(にんべん)」は人、「令」はお辞儀をして神様にお願いをする様子を表し、組み合わせて「神に仕える人」を表現する。

1. わざおぎ。楽師。俳優
2. 賢い。小才がきく


かもしか


きく。耳を澄ましてきく。耳がさとい。 とし。よわい。 とは、耳がさとい。のみこみがはやいさま。

蜻蛉(とんぼ、せいれい)

2019年5月1日水曜日

自閉スペクトラム症(ASD)とインターネット依存(internet addiction:IA)

いくつかの研究報告によると、自閉スペクトラム症(ASD)患者では、インターネット依存(internet addiction:IA)がより多く認められるという。しかし、IAを伴う青年期のASD患者の特徴は、よくわかっていない。愛媛大学・河邉 憲太郎氏らは、青年期ASDにおけるIAの有病率を調査し、IA群と非IA群の特徴を比較した。Research in Developmental Disabilities誌オンライン版2019年3月13日号の報告。

 対象は、愛媛大学医学部附属病院および愛媛県立子ども療育センターの外来ASD患者55例(10~19歳)。患者およびその両親に対し、Youngのインターネット依存度テスト(IAT)、子どもの強さと困難さアンケート(SDQ)、自閉症スペクトラム指数(AQ)、ADHD Rating Scale-IV(ADHD-RS)を含む質問を行った。

 主な結果は以下のとおり。

・総IATスコアに基づき、55例中25例がIAを有していた。
・IA群は、非IA群と比較し、SDQおよびADHD-RSにおけるADHD症状の高スコアが認められたが、AQおよび知能指数においては有意な差が認められなかった。
・IA群は、非IA群と比較し、携帯ゲームの使用頻度が高かった。

 著者らは「青年期ASDでは、ADHD症状がIAと強く関連していた。ADHD症状を有する青年期ASD患者では、IAに対する、より強固な予防と介入が必要である」としている。

痛みを感じないのには2つの遺伝子変異が関与している可能性 不安な気持ちを感じることもない

スコットランド人女性のJo Cameronさん(71歳)は、これまで痛みと無縁の生活を送ってきた。出産や骨折、切り傷、やけど、手術を経験したが、いずれも痛みや不安を感じることはほとんどなかったという。英ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)のJames Cox氏らがこの女性の遺伝子を調べたところ、彼女が痛みを感じないのには2つの遺伝子変異が関与している可能性があることが分かった。この報告は「British Journal of Anaesthesia」3月27日オンライン版に発表された。

 Cox氏らが今回、Cameronさんの遺伝子検査を行ったところ、2つの遺伝子変異が見つかった。一つはCox氏らが「FAAH-OUT」と名付けた遺伝子の変異で、もう一つは、その近傍にあるFAAH酵素を調節する遺伝子の変異だった。FAAH-OUT遺伝子はこれまで特に機能は持たないものと考えられていたが、現在では、痛覚や気分、記憶のシグナル伝達に関与するFAAH遺伝子の発現に影響していると考えられている。

 Cameronさんはこの遺伝子変異のおかげで、身体の痛みだけでなく不安な気持ちを感じることもないという。Cameronさんが「The Guardian」紙に語ったところによると、2年前に交通事故に巻き込まれたときも、ひっくり返った自分の車から這い出し、相手のドライバーを助けに向かうほど落ち着いていたという。また、彼女はいつでも幸福感に満たされた楽観主義者で、ストレスや抑うつの検査のスコアはいつも0点だった。

 Cameronさんは「自分が楽天的な性格であることは分かっていたが、65歳になるまで他の人と違っていると感じたことはなかった」と振り返る。65歳というのは、彼女が人工股関節置換術を受けたときの年齢だ。手術の担当医は、X線検査で彼女の股関節の状態が著明に悪化していることに気づいたが、彼女自身はなんら痛みを感じていなかった。また、彼女の親指に関節炎によるひどい変形がみられたときも、彼女は手に異常を感じていなかったという。

 さらに、傷の治り方も他の人より早かった。このことにも、彼女が有する遺伝子変異が関係しているのではないかとみられている。こうしたことから医師らは、術後の痛みに対する新たな治療法や、傷の治癒を早める方法を見つけ出す上で、Cameronさんのケースがヒントになる可能性があると期待を寄せている。

 Cox氏らによれば、同様の遺伝子変異がある人はCameronさん以外にもいる可能性があるという。同氏は「遺伝子変異による痛みの感覚への影響を明らかにする上で、痛みを感じない人は医学研究において重要な存在だ」と話す。Cameronさんも「私のような人は他にもいるかもしれない。そうした人たちが研究に協力することで、鎮痛薬を使わなくても、より自然な方法で痛みを軽減できる方法が見つかるかもしれない」と語っている。